「適正飲酒」なんて言葉を聞くと、人間というのは本当に言い訳が上手な生き物だなあと思う。
酒が体に良いなんて思っている人は今どきほとんどいない。それなのに「適正」などという、いかにも健康的な響きの言葉をくっつけて何とか飲む理由を確保しようとする。むしろ好感が持てる。
考えてみれば、体に悪いものを全部排除していったら人生はオーガニック食品店の棚みたいになってしまう。無農薬、無添加、グルテンフリー、糖質オフ。そうやって「毒」を取り除いていった先に待っているのは無菌室のような人生だ。清潔で安全でそしてひどくつまらない。
人間というのは不思議なもので、完璧に健康的なものばかり食べていると、かえって不健康になる。心がギスギスしてくるのだ。夜中のカップラーメン、食前のデザート、そして仕事帰りの一杯。そういう「体に悪いもの」の中にこそ、人間らしい豊かさが潜んでいる。
とはいえ、酒には酒の効能もある。東洋医学でいうところの「医食同源」である。
適量の酒は血行を良くし体を温める。これは冷え性の人には実際に有効だ。ストレスで固まった体をほぐし緊張を解く。薬膳の世界では、酒は「百薬の長」とも呼ばれてきた。もちろんこれは「適量なら」という但し書きがつく。
また、酒には人と人をつなぐ力がある。これも広い意味での「薬効」だろう。同じ釜の飯を食うように、同じ卓を囲んで酒を酌み交わす。そこで生まれる連帯感や普段は言えない本音。こうした心の健康への作用を数値では測れないからといって無視するのは、それこそ不健全だ。
ただし、酒が毒であることを忘れてはいけない。飲み方によっては、体質によっては、量によっては、いくらでも毒になる。
医食同源というのは、食べ物も薬も元は同じという考え方だが、薬というのは使い方を誤れば毒になる。酒もまた然り。「百薬の長」という言葉を免罪符にして浴びるように飲んでいたら、それはもう薬ではない。
「適正飲酒だから大丈夫」と思考停止するのは、結局のところオーガニック信仰と同じ穴のムジナだ。言葉に安心して自分の体を見なくなる。それでは本末転倒である。
本当に「適正」な飲酒というのは、酒が毒であることを承知の上で、それでも飲むと決める態度のことを言うのだろう。リスクを引き受けて、その上で楽しむ。それができて初めて大人の酒の飲み方になる。
無知や無自覚から飲む酒と、分かった上で飲む酒。同じ一杯でも中身はまるで違う。
結局、人生は矛盾に満ちている。健康に悪いと分かっているものを、それでも楽しむ。この不条理を受け入れられるかどうかが、人間らしく生きるということなのかもしれない。
「適正飲酒」という言葉は、その矛盾を何とか言語化しようとした、人間の苦肉の策なのである。
企業も動き出した
三和酒類が「やさしい酔いプロジェクト」というものを始めている。大手飲料メーカーはすでにこの手の取り組みをやっているが、三和酒類も例外ではないらしい。
『一般社団法人飲酒科学振興協会』なる組織を筑波大学、九州大学、大分大学などの研究者と共同で立ち上げたそうだ。目的は「人とお酒が共にある健康で文化的な社会の実現」。
要するに、酒を売りながら「健康的に飲んでくださいね」と言っているわけだ。これを偽善と見るか、企業の良心と見るか判断は分かれるところだろう。ただ、酒で商売している以上、こういう姿勢を見せざるを得ないのが現代を生きる企業の義務であり、間違いなく正しい姿勢なのだ。むしろ誠実さを感じる。
遺伝子は嘘をつかない
Nomity (ノミティ)という遺伝子検査キットがある。これも三和酒類が関わっているらしい。アルコール体質をA、B、C、D、Eの5型に分類してくれるというシロモノだ。

参照元:Nomity
長年自分の体でフィールドワークをしていると、大体の傾向は掴める。私の場合、酔っぱらう前に不快な症状が出る。飲んだ量に関わらず、数日間は手先の痺れや脳みその膨張感が続く。これはD型に違いない。いや待てよ、不快症状が出ない時もあるな。ワンチャンB型かもしれない。
などと期待しつつ、検査キットを注文した。

届いたキットはダイバラボという福岡市の会社からであった。住所を見ると「福岡市中央区唐人町」。直接取りに行った方が早い距離である。検査は簡単だ。清潔な口内の頬を綿棒で撫でて、検査台を湿らせるだけ。検体は兵庫県の研究所へ返送する。
返送して5日ほどで、アプリに結果が反映された。「結果を見る!」みたいな演出を期待していたのだが、アプリは無粋にもワンクッション挟まず、いきなり結果を表示する仕様だった。あっ、アァッ!のびたさーん!という感じでご開帳。
結果:(ドゥルドゥルドゥルドゥルドゥルドゥルドゥルドゥルドゥルドゥルーーーン♪)(脳内ドラムロール)
D型!!

おもしろくねーーーーーーー!!!!!!!
以前、「ワインボトル1本を開けられる鉄の女に成り上がった」などと大層なことを書いたが、明らかに遺伝子をガン無視した愚かな所業だった。遺伝子は正直である。そして残酷である。(あとちょっと恥ずかしい)
ちくしょう! くやしい! こうなったらヤケクソだ! 普及活動のほうに全振りするだけだ! 今うちにある焼酎ボトルは布教で使うこととするぅ!
「少量でも楽しめる」D型のアドバンテージをフルに活用させていただくぅ!!(大泣き)
うるせえ、それでも飲む
それでも私は飲む。適正飲酒を心がけながら飲み続ける。
自分の体質を知ること。そして自分の体質を他人に知ってもらうこと。これがより良い飲酒ライフの第一歩なのだろう。遺伝子検査の結果が期待外れだったとしても、知らないで飲むより知った上で飲む方がマシだ。
結局のところ、酒との付き合いは自己責任である。「適正飲酒」も「やさしい酔い」も、最終的には自分で決めるしかない。企業や研究機関ができるのは、判断材料を提供することまでだ。
あとは各自で決めてくれ。私はD型だがそれでも飲む。「適正に」「ほどほどの」「飲酒を楽しむ」それだけのことである。
注記:本文では「オーガニック信仰」という表現を用いていますが、オーガニックそのものを否定する意図はありません。あくまで比喩的な表現として使用している点をご理解いただければ幸いです。







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