オンラインマーケティングの世界は、まるで高速道路の追い越し車線を走り続けるようなものだ。ずっと。休みなく。ブレーキなく。

2010年代、私はその車線の中にいた。効果測定という名の計測機が常に手にあって、数字が出ない広告は数日で下ろされた。売上が上がらなければ、別の商品へ。別の訴求へ。別の媒体へ。

思い返すと少し気が滅入る。その時代、景表法もリテラシーも今ほど厳しくなかった。色々と下手くそだったが、真面目に取り組んだほうだと思う。クライアントの希望を叶えるために、時には魅力のない商品をも売るために、あのてこのてで広告をつくった。工夫という名の詐術。創意工夫という名の虚構。

徹夜が続き、0時を回ったオフィスにチャットの音が響く。上司から資料へのダメ出しである。無情だ。しかし翌日午後イチ東京でプレゼンをしなければいけない。資料のやりなおし。家にも帰れずシャワーも浴びず、そのまま飛行機に飛び乗ったこともある。虚しさが骨に染みた。

魅力ある商品の広告は楽しい。意味があるからだ。消費者に嘘をつかなくて済むからだ。
「特徴のない商品」はいわずもがな、難儀なのは「開発者・作り手、売り手の気持ちや思いが無い商品」である。

とはいえ売りどころの無い商品を魅力あるふうにするのもまた仕事である。自分の仕事の価値は何か。その問いは、ふとした時に私を苦しめた。

焼酎をつくる人たちの顔を見たことがあるだろうか。

温度に敏感な麹のため、蒸し風呂のような暑さの中で仕込みを行う姿を。
蔵に泊まり込みで作業する杜氏や蔵人の姿を。
麹をまるで我が子のように愛でる姿を。

焼酎づくりは、伝統工芸や伝統芸能に限りなく近い。いや、そのものだ。

2025年現在、消費者はより一層疲れている。

SNSの台頭で世界は毎秒更新される。朝起きたときのトレンドが昼には古い。夜には忘れられている。買ったばかりのスニーカーが翌日ダサくなる。

流行りものはすぐに似たようなものがネットで購入できる。
明らかに採算が取れないような価格で似たような最新アイテムが購入できてしまう。
もしかすると私たちは、結果ばかりを追いかけるあまり、過程に目を向ける余裕がなくなってしまっているんじゃないだろうか。

そんな時代に、焼酎づくりは時代の真逆をいく

麹ができる、もろみが育つ。黙々と時間がたつ。蒸留をする。時には甕や樽の中で人々の口に運ばれる日を何年も待ち続ける。
効果測定なんてない。即時的なフィードバックなんてない。ただ時間だけが確実に、ゆっくり働く。

オンラインやSNSの世界では、価値は刻一刻と変わる。数字に支配され、アルゴリズムに支配され、消費者の気分に支配される。

でも焼酎の世界では、価値は動かない。

麹を育てる営みに価値がある。時間が積み重なることに価値がある。人間の経験値に価値がある。その価値はトレンドでは揺らがない。AIでも代替できない。明日のアップデートで陳腐化もしない。

焼酎づくりを眺めていると思う。

これは疲れた時代への、ささやかな反抗なんだと。効率を放棄すること。即時性を手放すこと。数値化できない何かをただ信じ続けること。

それはとても贅沢で、とても現代的な逆説的な営みなのだ。

だからこそ、焼酎をただの「酒」として飲むのではなく、そこに流れた時間を飲むという感覚も悪くない。

焼酎だって売り物として市場に出る以上、売れなければいけない。
間違いなく、マーケティングは必要なものである。ただやはり、売る主体が誠実でなければ、本物でなければ、どれだけ良い広告を作れたとしても、一過性のものにしかならないのだ。

人の手が、歴史が介在したもの、そして時に何年も寝かされた液体を口に含むとき、あなたは数ヶ月、数年分もの「ゆっくり」を飲んでいる。
焼き畑から根こそぎ抜かれた価値観を、ほんの少し取り戻しているのかもしれない。

そういう飲み方は、なんだかとてもロマンチックじゃないか。

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